年譜>その56 1988〜89    /ヨシミツ 1988(昭和63)/60歳
〇「朝日ジャーナル」で『ネオ・ファウスト』の連載が始まる(第一部・1/1+8〜11/11、第二部・12/9〜12/16:未完、絶筆)。

〇実験アニメーション『森の伝説』で第25回「毎日映画コンクール大藤信郎賞」を受賞する(1月)。審査員の満場一致であった。
 手塚治虫は受賞のスピーチで、アニメーションは3日やったらやめられないというが、3日たったら一文なしになるともいう。しかし自分は一文なしになってもアニメーションはやめない、と語った。

〇実験アニメーション『森の伝説』で「ザグレブ国際アニメーション映画祭CIFEJ賞(青少年映画賞)」を受賞する。

〇実験アニメーション『森の伝説』が、フランスの「ブール・アン・ブレス青少年のためのアニメ映画祭」で「青少年審査員短篇部門賞」を受賞する。

〇昭和62年度「朝日賞」を受賞(1月)。戦後のストーリー漫画とアニメ界における創造的業績が受賞の対象であった。
 上記「大藤信郎賞」と授与式が同じ日であった。2か所の会場をハシゴすることになる。
 手塚治虫は受賞のスピーチで、思えば、一時期、漫画が各種団体のヤリ玉にあがったこともあった。今、朝日からこの賞を授与されたことは、感慨無量である、と語っている。

〇入院し(3/15)、手術を受ける。しばしば下痢の痛みをうったえていた。

〇埼玉県新座市に「手塚プロダクション」の新スタジオが完成する(4月)。漫画とアニメの総合スタジオであった。
 このスタジオでは『青いブリンク』リメイク版、『ジャングル大帝』、『聖書物語』の制作を進めていた。

〇「手塚治虫の世界展」が川崎市民ミュージアムで開催される(11月)。夫人やアシスタントとともに見学する(11/3)。見学途中に気分が悪くなり、休憩しなければならなかった。

〇中国へ行く(11/8)。「上海国際アニメ映画祭」の審査員をつとめる。

〇2度目の入院(11/18)、手術をする。

1989(平成1)/(61歳)
〇胃ガンのため永眠(2/9)。享年60歳。

〇「勲三等瑞宝賞」の受賞決定(2/23)。

〇東京青山葬儀所で、葬儀・告別式が行なわれる(3/2)。約 6,000 人のファンが別れを告げた。

                              ヨシミツ 年譜の付録。その56について。    /ヨシミツ  とうとう最終回を迎えました。
 最晩年、さまざまな表彰を受け、マンガそのものについての評価が変わっていくことに、感慨を深めながら、手塚治虫は、永眠することになります。

 絶筆作品が、いくつかありましたが、私は『ネオ・ファウスト』で、その瞬間に立ち合いました。
 また連載誌であった「朝日ジャーナル」も、現在、廃刊となりました。

 亡くなったのは、ちょうど、昭和の最後の年、昭和64年は平成元年でした。まったくの偶然なんでしょうが、時代の変わっていく節目だった気がします。大きく言えば、"冷戦の終結"なんていうこともありましたね。

 さて、今回をもちまして、『手塚治虫エピソード年譜』全巻の終了です。連載の途中、岩波新書や「別冊太陽」などで手塚治虫についてのものが登場していますが、後日、それらを参照した訂正・加筆をする旨、お約束して、一応の幕引きといたします。

                              ヨシミツ