年譜>その07 1945 /ヨシミツ
1945(昭和20)/17歳
〇松竹漫画映画『桃太郎 海の神兵』を大阪松竹座で見る(4/12封切)。この日は、工場を休んで見に行っている。戦意高揚映画ではあったが、手塚少年に深い感動を与えた。日記に次のように書いている(要旨)。
この映画は文化映画的要素を多分に取り入れて、戦争ものといいながら、実に平和な形式をとっている。クマが小鳥をカゴから出して餌をやり、あるいはてるてる坊主や風鈴が風に揺られているところなど、観客をホッとさせる。
次に感じたことは、漫画が非常に芸術映画化されたこと。実写のように、物体をあらゆる角度から描いている。例えばサルやイヌが谷川に飛び込むところなどである。
また映画の筋も、これまでになくはっきりしている。この映画が非常に長いのには舌を巻いた。1時間15分で、普通の映画よりも長いくらいだ。松竹もえらいものを作ったものだ。
大東亜の動物も多く出てくる。日本語学校のところが特におもしろい。特に感心したところは、口の動き・実際の動作とトーキーがよく合っていることである。それは帽子が渓流を流れるところ、クマや桃太郎が手袋をとる動作、飛行機内での所作などである。
映画中に見事な影絵を入れたのもおもしろい。天狗猿・手長猿・眼鏡猿が三匹でコーラスをするのがとても気に入った。
〇この頃『幽霊男』をまとめる。
この作品の中で、手塚少年はロボットを描いている。自身、そのことをロボットを描いた第1号だ、と言っている。そして、そのもとになったのが、手塚少年の幼い頃の見た夢で、次のような話だ(要旨)。
ある日、棺桶のような箱が送られてくる。開けてみると、等身大の人形が入っていて、リモコン装置とおぼしきものがある。その装置を握ってスイッチを押すと、怪しげな煙とともに、その人形は立ち上がり、自分に迫ってくる。必死で部屋の中を逃げ回り、ついに追い詰められる。人形は、手塚少年の身体をいじくり回し、分解しようとする。おののきながら、操縦機のスイッチを再び押すと、バンという音とともに、人形は、あっけなく、箱の中に戻る。
〇大阪大学医学付属専門部へ入学(7/1)。
〇この頃『勝利の日まで』、『おやじの宝島』を描く。
〇終戦の当日、大阪へ出て、灯火管制の行なわれていない明るい街を見る。戦争の終わったことを実感する。
〇酔った米兵に暴行を受ける。
ヨシミツ
年譜の付録。その07について。 /ヨシミツ
『桃太郎 海の神兵』については、数年前、ちょっと話題になりましたが、全編、ご覧になった人もあるんでしょうね。
私の場合は、TVの番組で、部分的にちょっと見たという程度です。それでも、あの当時(昭和20(1945)年)の日本のマンガ映画にしてはすごいなぁ、と思ったものです。
手塚治虫は、その日、工場を休んで見に行ったと言っていますが、別のところでは、正直に(?)サボった、と言っていますよ(笑)。どうしても見たかったんですね。
『幽霊男』については「手塚治虫の世界展」で図録と一緒に販売されていて、これまた【Qさん 】に送って頂きました。
当然、きれいな製本がされていた訳ですが、手塚治虫自身も、あの頃、自分で製本をしていたようですね。なかなか凝った奥付などもしていたみたいです。
ロボットの夢というのは、例の「コブラ姫」のことですね。でも、実際の作品のストーリーに、それらしいところは見当りませんね。
ヨシミツ
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