年譜>その17 1954〜55    /ヨシミツ 1954(昭和29)/26歳
〇映画『第三の男』に熱中する。オーソン=ウェルズの演技をよく物真似した。旅館で漫画家仲間とのカンヅメのおり、物真似をし合い、深夜まで騒いだこともあった。

〇「トキワ荘」を出て、雑司ケ谷の「並木ハウス」に引っ越す。「トキワ荘」の時と同様「漫画少年」編集部の紹介であった。

〇手塚番編集者の間で、原稿受け取りなどについて順番会議なるものが持たれるようになる。

〇長者番付の関西画家の部で1位になる。「週刊朝日」がインタビューに来て、その部屋の、家財道具のあまりの少なさに、あっけにとられたという。

1955(昭和30)/27歳
〇長者番付の全国画家の部で1位になる。

〇大宅壮一氏との対談で「君は、"阪僑"ですね」と言われる。
 "阪僑"とは、大阪出身で、東京で活躍し、その収入を大阪に送っている様子を"華僑"になぞらえて、大宅壮一氏がつくった造語。大宅壮一氏は、自分自身も"阪僑"である、と言っていた。
 また周囲のライバルの漫画家から、金のためばかりに漫画を描いているがめつい奴だということを言われる。

〇赤塚不二夫、長谷邦夫、石ノ森章太郎の各氏が雑司ケ谷の手塚治虫宅を訪問する。この時、石ノ森章太郎氏は「東日本漫画研究会」の同人誌「墨汁一滴」を手塚治虫に預け、批評をもとめた。

〇連続ドラマ『リボンの騎士』が「ラジオ東京」で放送される。

〇児童漫画に対して、悪書追放の声が上がる。当初、青少年問題全国会議・警視庁など公的機関から始まったが、PTA・教育関係者・識者の間に広まる。手塚漫画がそのターゲットになったこともある。

〇児童娯楽雑誌を擁護する立場から「鋭角」という機関誌が「日本児童雑誌編集者会」から発行される。

〇テレビ番組に出演し、意見を求められた手塚治虫は「漫画はおやつであって、主食とは別に、子どもはおやつのように漫画が好きなのだ。親も子どもとともに漫画を見てほしい」といった発言をすることが多かった(「漫画おやつ論」)。しかし放送を終えて、スタジオを出る手塚治虫は、漫画が何であるかということに、まだ結論はないんだ、永久にしめくくりのないのがこの世界であると、ひとりごちした、という。

〇「漫画少年」廃刊となる(10月)。

〇この頃、大人漫画の分野でも活躍する。『第三帝国の崩壊』/「文春増刊漫画読本」(7/5)、『あんてな一家』/「朝日新聞」(9/25〜1956(昭和31)9/16)など発表。

〇横山隆一氏が、趣味的なアニメプロダクションの「おとぎプロ」を結成する。第1回作品「おんぶおばけ」を完成し、プレミアショーが行なわれた(文春ビル)。
 まだ、アニメーションのための材料も手に入れにくい時代のこと、試行錯誤の作業であった。畳の部屋だったので「たたみプロ」とも言った。セル上で墨汁を使う際には、砂糖を煮しめて墨に混ぜたり、普通の絵の具を使う場合でも糊を混ぜるかポスターカラーに不透明水彩の白を混ぜるなどの工夫をした。
 手塚治虫も招待され、その作品を見て、感激すると同時に、アニメーション制作が、ぐっと身近なものに感じられたという。
 そのあとの完成祝賀会の席上、横山隆一氏から「君も、ぼつぼつ作る気になったら、どうかね」と言われる。「はい。やってみたいと思います」と、答えた。しかし、冷静に考えてみると、実行に移すには資金面で程遠い。その前に、家を建て、女房をもらうのが先だ、と肩を落とす。
 その後、手塚治虫が横山隆一邸を初めて訪問した時のこと、横山隆一氏の子どもたちは、手塚治虫が横山隆一氏のことを「先生」と呼ぶのを聞き、自分たちの父が偉いということを知って、逆に感心したという。
 なお、手塚治虫のベレー帽は、横山隆一氏に影響されたものらしい。自身でも、横山隆一氏にあやかったものだ、と書いている。ベレー帽は、昭和初期の「新漫画派集団」の制帽として、そのマーク(SMS)にもデザインされていたもので、漫画家といえば、ベレー帽のイメージが定着していた。

                              ヨシミツ 年譜の付録。その17について。    /ヨシミツ  漫画が悪書として、追放運動の対象となっていた時代があったなんて、今の中高生くらいの人たちには、信じられないことでしょうね。
 手塚治虫が「漫画おやつ論」でもって、漫画批判をする人たちに、ひとつの答えを示し、少なくとも、漫画は主食ではない…、と言っているところに、時代を感じますね。

 そんな感じで漫画に批判の声があがり、手塚作品も、その標的になったというのですが、「物語」では「拳銃天使」(1949(昭和24)/東光堂)のキスシーンの例と、「複眼魔人」(1957(昭和32)/ライオンブックス)の女性の足の例とが、紹介されていました。
 手塚治虫の「漫画〇〇論」は、このあと、いろいろに変化していくのですが、現在の状況を見て、手塚治虫は何というのでしょうね。

 一方、金儲けばかりのがめついヤツだという、仲間うちの声に対しては、アニメという新しい世界にチャレンジするために、お金を貯めているのだ…、という気持ちをもっていたようです。
 ただし、このアニメも、いわゆる実験アニメーションをさす訳ですが、この辺りの話も、このあと紹介していけるかと思います。

                              ヨシミツ