年譜>その32 1966 /ヨシミツ
1966(昭和41)/38歳
〇この頃、手塚治虫は、自宅とは別にもう一か所、雑誌原稿のための仕事場をもうけた。従来の仕事場では雑用が多いなど、仕事がはかどらないというのが、その理由である。そこへは雑誌編集者の出入りを禁じた。
〇テレビアニメーション『鉄腕アトム』の放映に尽力した「虫プロ」役員のひとりが仕事中に倒れ、急逝した(12/20)。
〇テレビアニメーション『鉄腕アトム』最終回の放映がおわる(12/31)。最終回は「地球最大の冒険」。手塚治虫自身のシナリオ・演出で、2026年12/31、地球を救うため、アトムがカプセルに乗ったまま、過熱した太陽に突入するというストーリーであった。放送局へは「アトムを殺さないで」という投書が殺到した、という。
放送終了が決まった時、さまざまな記者から取材で「アトムは誰に殺されたのか?」という質問を受けた。ちょうど『判決』という番組が200回で打ち切りとなり、何か政治的圧力によるものでは、という噂が話題となったあとだったからだ。しかし手塚治虫は、なぜやめることになったかについては「疲れた」とだけ答えた。
しかし、振り返ってやめるにいたったについては、いろいろあった、と手塚治虫は言っている。スポンサーからアトム製品の売り上げが横ばいになり、そろそろ次のキャラクターの商品化の要望があったこと、「虫プロ」の方でもアトムのロイヤリティが落ちてきて、製作費の調整が難しくなってきたこと、アトムをめぐって広告代理店の面倒な問題が起こったり、不明朗なトラブルのあったこと、などである。
さらにアトムのヒットによって、テレビ漫画が続々登場し、『鉄腕アトム』と"同工異曲"のものがズラリと並んだことが致命的だったとも言っている。手塚治虫は、その具体例として『鉄人28号』、『エイトマン』、『宇宙少年ソラン』『遊星少年パピイ』、『宇宙エース』、『宇宙パトロールホッパ』などをあげている。これらが"ハイエナ"のようにアトムに"むしゃぶりついて"、アイデア・手法を盗みとるには、ネをあげた。それも道理で「虫プロ」のスタッフを片っ端からトレードしたり、スタッフがこっそり他の番組を手伝っていたこともあった、と言っている。
ブラウン管のアトムには、確かに、手塚治虫の個性が出ていない。アニメーションの仕事は、何百人ものスタッフの共同作業で、それだけの個性の集合体は、個性の強化よりも個性の相殺を引き起こし、消えてしまうのだ。特にお茶の間の団欒の場でのテレビ放送であるから、万人向きの都合のよい水増しをしなければならない。SF的発想も、波瀾万丈のストーリーも、省略・整理・変更の憂き目を見る。それにお手上げしたくなるようなテレビ・コードの山、どうしようもなく不明瞭な視聴率…。(といった具合だから、なおさらだ)。
〇テレビアニメーション『ジャングル大帝』で「テレビ記者会賞特別賞」を受賞。
〇アトムがプロ野球「サンケイアトムズ」(ヤクルトスワローズ)のシンボルマークに採用される。
〇この頃、手塚治虫は「にせ物の創作」と題し、次のような文章を書いている(要旨)。
漫画の原稿をそっくり真似られて、しかも真似た当人から、にせもの扱いされたことがある。未発表原稿をちょっと貸したところ、借りた男が、すっかり引き写し、先に出版してしまった。自分の方が文句を言っても、相手は強い。曰く「きみの原稿を見て驚いた。ぼくが以前考えていたアイデアと全く同じだ。どこで盗んだのか知らないが、先に出されてはたいへんだから、急ぎ印刷に回した。きみに先に出されたら、えらく損害をこうむるところだった」。
案から構図からキャラクターから、そっくり盗んだくせに、こう反発されると「そうかなあ。いや。どうも」と引っ込んでしまうのが、自分の欠点だ。
ヨシミツ
年譜の付録。その32について。(略)
ヨシミツ
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