年譜>その35 1969 /ヨシミツ
1969(昭和44)/41歳
〇劇場用長編アニメーション『千夜一夜物語』が完成し、封切られる(6/14)。手塚治虫が総指揮をとった、この映画は、日本で初の成人向けアニメ娯楽大作で、アニメラマと称した。
「虫プロ」、「手塚プロ」全社あげての追い込みで、現像所でも試写ぎりぎりまで作業が続けられたという。隣の部屋では、あとに公開される予定の「石原プロ」の『栄光の五千キロ』の打ち上げが行なわれていた。
主人公アルディンの声に青島幸男氏、特別出演に大宅壮一氏など著名人が名をつらねたことも話題となった。
公開に先立つプレミアショーのさなか、次女・千以子さんの誕生の知らせが届く。ショーの司会者であった立川談志氏は、映画完成ともに二重の喜び、と紹介した。
手塚治虫は公開後、自ら映画館に足を運んで、観客の反応を確かめた。この成功によって「虫プロ」では第2弾『クレオパトラ』の制作を行なう。
〇次女・千以子さん誕生(6月)。
〇アメリカのアポロ11号の月面着陸の成功した(7/20)。続いてアポロ12号のテレビ中継をアシスタントとともに見ていた手塚治虫は「隔世の感だ、愉快だ」と言い、自分が、宇宙を舞台にSF漫画を描いた頃、荒唐無稽だと言われた時代があったのだ、とふりかえっている(要旨)。
〇この頃のことを、手塚治虫は「長い冬の時代だった」と言っている。
数年おきに来るスランプ状態、脚光をあびる劇画、経営上の悩み、そして、デビュー以来20数年、漫画を描き続け、少年漫画で思いのほか人気がとれなくなっていたことを強く意識していたのが理由である。
創刊のあいつぐ青年誌での仕事は増えていた(『火の鳥/宇宙編』/「COM」(3月〜7月)、『火の鳥/鳳凰編』/「COM」(8月〜1970(昭和45)9月)、『I・L』/「ビッグコミック」(8/10〜1970(昭和45)3/25)、『ザ・クレーター』シリーズ/「少年チャンピオン増刊号」/「少年チャンピオン」/(8/10〜1970(昭和45)4/1))。しかしあくまで少年漫画にこだわっていた。
〇手塚治虫の自伝エッセー『ぼくはマンガ家』が出版される(10月)。
出版を記念し「手塚治虫を励ます会」が、著名人の発起で開催された。デビュー当時をふりかえり終戦当時の仮装が行なわれた。
自伝は、シラーの詩を引用し、しめくくられている〜「時の歩みは三重である。未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように速く飛び去り、過去は永久に静かに立っている」。この自伝エッセーは、手塚治虫の最初で最後の自伝となった。
ヨシミツ
年譜の付録。その35について。(略)
ヨシミツ
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