年譜>その39 1973       /ヨシミツ 1973(昭和48)/45歳
〇松谷孝征氏が「手塚プロダクション」にマネージャーとして入社。以後、手塚治虫をマネージメントでささえる。

〇「虫プロ商事」が倒産する(8月)。
 その前後のことを、手塚治虫は、次のように振り返っている(「どん底の季節」要旨)。
 その日、手塚治虫は、所属している漫画集団のサイン会に、どうしても出席しなければならなかった。これも"人気商売"で、雑誌社への奉仕が、結局、自分の収入に響いてくるのだから、断れない。その日は、ちょうど折悪く手形の落ちる日だった。経理担当役員が朝から走り回っていた。何かあったらすぐサイン会場へ連絡を入れてもらうことにして、会場へ行った。
 会場への電話はなかった。なんとか切り抜けたかと思い、サイン会が終わって飲みに出ていた。帰宅すると、役員から電話で「先生、ダメでした」と泣きそうな声。続けてその役員から、マスコミからの問い合わせに、サイン会場に押しかけられては、と思い、居場所はわからない、と返答したと聞く。
 その日の夕刊(翌朝の朝刊とも)に「虫プロ商事倒産、手塚治虫行方不明」、「鉄腕アトム遂にダウン、十万馬力も消える」の活字が踊る。留守中に、記者たちが「虫プロの臨終」の取材で飛び回っていたことになる。手塚治虫は「こいつは漫画になるわい」と思ったという。
 その時、馬場のぼる氏から電話で、漫画集団で手塚治虫の激励会を開いて、励ましたいとのことだったが、手塚治虫はそれを断った。「皆さんのお気持ちは有り難いが、なにか良いことがあった時にやりましょう」というのが返答だった。

〇「虫プロダクション」が倒産する(11月)。
 その前後のことを、手塚治虫は、次のように振り返っている(「どん底の季節」要旨)。
 その頃(=「虫プロ商事」倒産の頃」)「虫プロ」も、ある映画が赤字で四苦八苦していた。自分は数年前「虫プロ」から身を引いていたが、オーナーには違いなかった。社名が似ている上に、同じ手塚治虫がオーナーということで、連鎖倒産の危険性が出てきた。折悪しく、あとから加わった役員の不祥事などもあって、「虫プロ」も倒れた。
 この時、手塚治虫を手助けしたのが葛西健蔵氏であった。彼は「アトム」全盛の頃、「アトム」の絵のついた教育玩具で取引をしていた関西の会社「アップリカ」の社長で、"先生にお世話になったお礼心"で、後始末の手伝いを申し出たものである。
 葛西健蔵氏の指示は、思い切った整理をすること、出来る限り債権者や社員のみなさんに真心をもってお返しすること、に加え、手塚治虫が漫画家に戻り、子どもたちのために良い作品を描くこと、自分が忙しすぎて、経営の出来ない会社を持つというのは意味のないこと、まして、自分の稼ぎを注ぎ込むなど"無茶苦茶"だ、というものだった。
 また葛西健蔵氏は、倒産整理の手伝いは何度もしたことがあるが、"先生の場合は別"だと言う。それは、普通、経営者は倒産すればすべてを失うが、漫画家・手塚治虫の場合は、"無から有が出る"ので厄介だ。債権者が、ないものはない、という具合に納得してくれない。「アトム」はじめ無形の財産があれほどある。活用次第で何度でも立ち直れる。あの財産は大事にしなくてはならない、と。
 手塚治虫は、葛西健蔵氏との出会いによって、目のうろこがとれた思いがした、と言っている。

〇『ブラックジャック』の連載が始まる(「少年チャンピオン」(11/19〜1978(昭和53)9/18)。
 この時期、あい前後して「少年チャンピオン」、「少年マガジン」から新連載の依頼が来る。
 「少年チャンピオン」側からは『ミクロイドS(ミクロイドZ)』/「少年チャンピオン」(3/26〜9/3)にかわる連載を、5回ほどの短期、毎回読み切りで、という注文だった。なお『ミクロイドS』はテレビアニメ化されていた(4/7〜10/6)。
 一方「少年マガジン」側からは、こんな話を告げられる。現在の劇画全盛の中で、アンチ劇画の漫画を描いてもらいたい、単に昔に戻るのではなく、劇画を念頭に置いた漫画を望んでいる、と。手塚治虫は、それを聞いて読者に受けるだろうかと問うと、リアルな劇画ばかりの時代に、読者はかえって飛躍した夢のある楽しい漫画を渇望している、という返答であった。

                              ヨシミツ 年譜の付録。その39について。    /ヨシミツ  今回は、「虫プロ商事」、「虫プロダクション」が相次いで倒産した年です。
 本文にも引用しましたが、このあたりのことについては、手塚治虫自身が「どん底の季節」という一文でふりかえっています。
 要は、経営者失格を宣告されたということでしょうか、来るべきものが来たという感じさえするのですが、そんなふうに言ってしまっては、酷でしょうか…。

 会社の整理にあたって、手塚治虫を助けた葛西健蔵氏は、最近刊行された「ぼくのマンガ人生」(手塚治虫/岩波新書)の中に、『「闘争心」が彼の再生の原動力だった』という談話を寄せています。この時の倒産事件のことと、それから手塚治虫が立ち直っていく過程について触れています。

 そして『ブラックジャック』の連載です。少年チャンピオンの編集者に、「手塚治虫の死に水をとってやろう」と言わせた連載です…。

 今回は、もじどおり、再生の年の出来事でした。

                              ヨシミツ