年譜>その46 1979 /ヨシミツ
1979(昭和54)/51歳
〇手塚治虫は、当時のアニメーションをめぐる状況について「瀕死のアニメーション」と題する文章を書いている。それは優秀な原画マンQ氏に電話で仕事の依頼をするというかたちで、いささか愚痴っぽくまとめられている。以下はその内容である(要旨)。
今、優秀な原画マンは引っ張りダコで、両手くらいの重箱に100個もマンジュウ(仕事)を押し込むような状況だ。プロダクション同士の引き抜き、裏工作駆け引き、札束攻勢、すさまじいものだ。関係者は"アニメ戦争"と呼んでいる。
『指輪物語』の、あの群衆シーンのロト・スコーピング、あれは手書きのアニメじゃない。素人にも出来る。原画や動画のスタッフが払底しているとなると、この技術を乱用される恐れがある。『指輪物語』という作品が悪いと言っているんじゃない、あの技術が乱用されたら、たいへんだ、という"老婆心"だ。
「虫プロ」はアニメの実験や模索のために作った会社で、自分の原稿料でまかなっていた。それでは経費がもたない、スタッフも少しは稼いで実験アニメのための収入を得よう、ということで、テレビアニメを始めた。
ところがスポンサーに(製作費の)交渉をするのがたいへんだった。当時、生番組や『月光仮面』のようなフィルム番組でも50万円いってない。お子さま番組は20万円程度だった。出来るか、続くか、どうかわからないもの(30分のテレビアニメシリーズ)に、倍や三倍の金を出すはずがない。
結局、赤字で、残りは自分のフトコロから出した。40何万円が製作費で自分の持ち出しは20万くらいだった。ところが「アトム」がべらぼうに当たったんで、半年ほどでアニメものがバタバタとできた。そして製作費が100万に上がった。今では下限で500万、見返りがあるとなれば、600〜700万も出す。
アニメ作りは独立プロの劇団と同じで、作るためにギリギリの苦しみをし、アルバイトをしてでも好きな作品を手がける、それが本来の状態だ、と思う。好きで飛び込むなら、初めから苦しむ覚悟がいる。かつての「虫プロ」の経営者としての発言じゃなく、作家としての個人の意見だが。
もちろんこうなった以上、アニメ労働者の生活権は守られるべきだ。しかし、自分個人として我慢の出来ないことがある。手塚治虫が「アトム」を売る時、べらぼうな安値で決めてしまったから、現在までテレビアニメの製作費は安くて苦労する、という声があることだ。冗談じゃない、あの時「虫プロ」のアニメが売れたからこそ今のアニメの隆盛があって、(アニメ関係者が)生活できるようになったんだ。
「マスコミひょうろん」という雑誌があって、手塚治虫は今のアニメーターに罪滅ぼしをしなければならない、と書いた。ふざけるのもいい加減にしろ、と言いたい。
製作費500万円にしても30分番組なら、べらぼうに安いわけじゃない(高くもないが)。テレビアニメ会社は、もちろん営利企業だから、そこから1割5分を引く。残りでアニメ作り一切をまかなう。そんな金額で、アニメは、作れない。そこで提案したい。400万円の製作費なら、それで出来る工夫をする、ということだ。テレビアニメが劇場用と同じように、多くの絵の枚数でスムーズに動かす、そんなたいへんな作業で、1週間に1本なんて、土台ムリな話だ。テレビ向きの企画があるはずだ、少ない枚数で、30分もたせる企画が。
今の若手の動画マンの中には、ろくにデッサン力もなしに、飛び込んだのがいる。ひどい絵だ。その点「虫プロ」のスタッフは優秀だった。今、東京中のプロダクションの、ほとんどの中心メンバーだ。
「東映」や「東京ムービー」など大手で、アニメーター養成を始めたが、いいことだと思う。講師が大工原章氏や月岡貞夫氏という大御所だ。月岡貞夫氏によると、50人中、大成しそうなのは、5〜6人だそうだ。
近ごろ「東映動画」以外でも劇場用アニメを作り出して、結構だが、フル・アニメーションにしてほしい。大画面で見せるんだし、製作費が違う。それがテレビアニメの焼き直しというのはいただけない。だとしたら、きちんと、そのように紹介すべきだ。
近ごろのアニメの観客の中心は女子中高生だ。彼女らがいちばん度しがたい。彼女たちはアニメ見ようと来ている訳じゃない。声優さんや主題歌や"美形キャラ"に夢中になっている。
またブームの余波としてセル画が高値で取引されている。自分たちの時代は、処分に困って、西武線の奥の方の空き地に穴を掘って埋めたものだ。
一方、母親の会とかPTAの会に行くと『ハイジ』や『家なき子』というアニメ番組が良い、と言われる。内容の如何にかかわらず、世界名作のアレンジなら、ましだという考えなのだろう。しかし、なぜアニメにして見せるの意味があるのか。アニメらしいアイデア、アニメ独特の手法に包まれた脚色演出があってこそ、はじめて世界名作の"アニメ化"だ、と言える。
その点『まんが日本昔ばなし』はりっぱな作品だ。何より各シーンが"絵画"になっている。絵の枚数など、テレビアニメの限界ギリギリを追求して成功している。
岡本忠成氏や川本喜八郎氏のアニメ上映会に人が集まるようになった。木下蓮三氏、古川タク氏、中島興氏などもがんばっている。今のようにアニメに関心の高まっている時こそ、わかりやすく感動的な実験アニメを発表するチャンスだ。高校・大学のアニメ研究会でも、テレビアニメの焼き直しから脱して、アニメの本質に触れた短篇が見られるようになっている。
しかし彼らがアニメに魅せられ、スタジオに入ると、その仕事はテレビアニメの"美形キャラ"の口パクだったりする。情熱もファイトもさめ、アニメ労働者とならざるを得ない。
アニメ労働者が、現在のような悲惨な状況にあるのは、その所属するスタジオがほとんど、大手の下請けになっているからだ。アニメ労働者は、アメリカのアニメーター・ユニオンを見習って、日本でもユニオンを作るべきだ。
今のアニメ・ブームを巨視的に見ると、若者の人間不信の逃避的な幼児化を感じる。なぜ、彼らが、幼稚なメカ・テレビアニメに飛びつくのか。彼らは、薄汚れた政治や管理社会のしがらみがイヤで、ストイックでシンボリックな漫画の世界へ飛び込んだ。ところが、その漫画が、質の低下で頼りなくなったので、今度は、アニメに移った。でも、そのアニメに逃避場所を見つけられなくなったら、彼らはどうするんだろう。
「東映動画」ができて20年、自分がテレビアニメを始めて15年しかたっていないのに、アニメは肥満児のように、異常にデカくなりすぎた。メカのドンパチや主題歌や、お涙やかっこ良さばかりに、本気でのめり込んでいく若者が、今後も増えていくようなら、アニメの先行きは、まったく魅力なしだ。
〇前年に続いて「日本テレビ」の「24時間テレビ」のためのスペシャル・アニメ『マリン・エクスプレス』の制作が始まる。完成直前1ヵ月は、徹夜の連続であったという。またレコーディングスタジオでは二泊三日の泊込みであった。
〇第2回「巌谷小波文芸賞」を受賞する(6/30)。これは、手塚治虫の児童漫画の開拓とその業績におくられたもの。
〇アメリカ・フロリダのケネディ宇宙センターなどを訪問する(8月)。
この時、建造途中のスペース=シャトルを見学する。ちょうど、シャトルが大気圏再突入の際の断熱タイルを貼っているところだった。その前で記念撮影をすると、ガイドが、あのタイルは民間の寄付でまかなわれているが、ひとつ寄付しないか、と勧められ、断っている。同じように、シャトルの中のスペースも分譲されているのでどうか、と勧められる。ハリウッドのスターや日本の有名人も買っていますが、と言われるが、これも断っている。
〇『マリン・エクスプレス』が放映される(8/26)。この作品は、手塚漫画のキャラクターが総出演する、ミステリー仕立ての冒険アニメーションで、大きな話題となった。
ヨシミツ
年譜の付録。その46について。 /ヨシミツ
今回は「瀕死のアニメーション」が、メインです。実は、私、この文章に出くわした時に、年譜をまとめてみようかな(でも、たいへんそうだぞ…とも)と思いました。
手塚治虫なりの思いがあったんですね。
冒頭に触れたように、原文は、原画マンQ氏に対して電話ごしに、愚痴を話す、といった体裁のもので、挿し絵に、オンザロックを持った手塚治虫が描かれていました。
いささか"過激な"表現があるのも、そのためです。
偉大な先駆者であればこそ、矢面に立たされる、といったこともあったんでしょう…。
ヨシミツ
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